究極の恩返し
私は常々犬になることを心がけています。
っていうと語弊があるけど。
例えばドッグフードは風太に与える前に必ず私が試食します。(ちなみにキャットフードも)
水遊びも出来るだけ一緒に入って泳ぎます(単に水遊び好きってのもあるけど)
夏のお散歩の時は必ず私が先にアスファルトを素手で触ります。
新しいベッドを買ってやったら、必ず私が先に寝ます。
どんな味のものを食べ、お水はどれくらい冷たくてでも楽しいのか、どんな熱さの道を歩いているのか、ベッドの寝心地ってどうなのか知りたいから。
何か選択しなければいけない局面に立った時も、「どうしてやりたいか」ではなく、「私だったらどうされたいか」、「どの苦痛なら一番我慢できるか」とかを考えます。
事実を事実としてまっすぐ受け止める犬として、求めるものは何か。
先日、夜中に下腹部の激痛で倒れて救急車で運ばれました。
救急退院の方に「担架に自分で乗れますか?動けますか?」って聞かれて「無理です」って思ったんだけど、突然胃捻転の時の風太を思い出しました。
風太もあまりの痛みと苦しみで庭にうずくまっていて、車には私が抱いて乗せたけど、その後病院に着いた時、自分の足でヨタヨタと歩いてくれた。
そう思ったらなんか大丈夫って思って、自分で担架に這って移りました。
これから、少なくともあと3回。
動物を看取ってやらなければいけない。
究極の判断を迫られる時もある。
その度に私は犬になり猫になろうと思う。
一緒にいる時間を如何に濃いものに、楽しいものにするかはとても大切だけど、私からこの子たちへしてやりたいこと、それは
『どれだけ穏やかな最期を迎えさせてやるか』
それを思うと、結局今を大切にしたい。今できることをしてやりたいと思えるし、それが究極の恩返しだと勝手に思い込んでいます。
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