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2011年7月 5日 (火)

まるへ 初七日

今日はまるの初七日です。

もう1週間前なんだね、お別れしたの。

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今までは2階のお部屋で過ごしてたまるだけど、今はリビングで過ごしています。

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まるは左の缶の中にいます。

初七日とは「故人が三途の川のほとりに到着する日」なのだそうです。

故人が激流か急流か穏流のいずれを渡るかがお裁きで決まる大切な日だそうで。

だから緩流を渡れるようにって法要するんですって。

私は特に信仰心はありません。

と言うより、お願いなんてしなくても、まるは緩流を渡れるに決まってるから。

私と出会ってくれて、どんな時でも健気に私の帰りを待っていてくれて、介護させてくれて、しんどかっただろうに最後にゆっくりお別れもさせてくれて。

嘘をつくこともなく、裏切ることもなく、ただただ「生きる」ことを全うしたこの子には、緩流以外有り得ない。

だから初七日は、私なりの法要を。

少し私の気持ちも落ち着いたので、まるとの最後の数日のことを書き留めておきます。

6月26日(日)

 夜、なぜだか全然寝付けず、なんとなくまるの部屋で寝ることにして、まるの部屋へ。

横になって少しうとうとすると、バタッという音がしてまるが倒れました。

眼震がひどく起き上がれない様子。

何度か体を起こしてやったけど、眼震のせいで倒れてしまうので、横にしてやりました。

6月27日(月)

 朝は眼震が治まり、ご飯も少し食べてくれた。

夕方仕事から帰ってくると、また倒れてしまっていて、もう起き上がれないし、ご飯も食べませんでした。

まるをキャリーに入れて、とにかく肌身離さずそばに置きました。

夕飯の準備の時はキッチンに。お風呂入る時は脱衣所に。

シリンジで野菜ジュースを飲ませてやると、一生懸命自分で飲もうとしました。

大好きなクッキーを小さくちぎって口元に持っていくと、必死で食べようとするけど、口に入れることが出来ません。

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りんくがまるをじっと見ていました。

頑張れって励ましてたのかな。

夜は私の布団で一緒に寝ました。数時間に一回発作が起きて、苦しそうにもがきます。

頭を撫でてやると、少し落ち着いた様子でした。

「まる、ママここにいるよ。もう楽になっていいんだよ。」と何度も言いました。

だからこの日の夜、まるにたくさん話をしました。

何度か野菜ジュースを飲ませてやり、ほんの少しフードを口に入れてやりました。

そしてほとんどお互い眠れないまま朝を迎えました。

6月28日(火)

 仕事を休みました。なぜかそうしなければいけない気がしたので。

そして自然療法の先生に電話をかけ、何時でも良いから今日行きたいと伝え、18時に予約を入れました。

本当は次の週の水曜日に予約を入れていたのですが、間に合わないという気持ちがあったから。

とにかくこの日は、一日中まると過ごしました。

何をするにもまるに声をかけ、「○○するから待っててね」とお願いして。

お昼に「届け物もあるし、お見舞いついでに仕事帰り自宅に寄るわ」という内容のメールを職場の人がくれました。

この日は私の体調不良と言ってお休みをもらっていたので、お見舞いに来てもらっといて、私が留守っていうのはダメだなぁと思ったけど、どうしても自然療法の先生に会いたかった。

だから正直にその内容を返信したら、

「そんなん、うさぎの方が大事やろ。届け物はドアノブにかけておくから、病院に行け」っていう返信が。

その言葉に後押しされて、私もまるも大好きな先生に会いに行きました。

先生はまるをとても愛おしそうに撫でてくれて、いつものように「まる、可愛いね」って言ってくれました。

私がまるの死を受け入れる準備を出来たのは、まるの「準備しておいて」という言葉と、この先生の言葉のおかげだと思っています。

まるの食欲が少しずつ落ちていって焦っていた時、先生はこう言ってくれました。

「まるは今、自分で最期の時の準備をしているの。自分に必要な最低限のエネルギーを考えて摂取してるの。弱った体に必要以上に栄養を入れると、消費する場所がなくて最期にとても苦しむんだよ。」と。

とても納得のいく言葉でした。

そこから私は、まるに全てを任せました。

食べたそうにしている時は、そのお手伝いは惜しみなくしたけど、要らないと言えば無理には与えなかった。

この日の帰りも先生は、「もうあまり長くは生きられないと思うけど、まるのタイミングで逝くから、まるに任せておけば大丈夫」と言ってくれました。

そしてこの日の夜も、私の布団で一緒に寝ました。

発作の頻度は昨日より格段に増えていて、多分意識はもう無かったと思います。

手足をバタバタさせてもがきながら、何度戻してやってもまるの体は私の方へ寄ってきました。

何も出来ないから、声をかけながらその体をずっとさすってやりました。

この日夜もほとんど眠れずに朝が来たのです。

6月29日(水)

 仕事を休みたかったけど、今日はお休み出来ないので、お留守番させてるのが心配でたまりませんでした。

本気で連れて行こうかと思ったくらいです。

野菜ジュースを口に入れてみたけど、もう飲みませんでした。

「まる、ママが帰ってくるまで待ってられる?」って聞いてみたけど、返事はありませんでした。

トイレ行く時も、風太や猫たちにご飯をあげる時も、「待っててね」って声をかけた。

最近は暑くて出勤までに汗をかいてしまうので、着替える前にシャワーを浴びます。

その時だけなぜか、私は「待っててね」って声をかけませんでした。

そしたらそのほんの数分の間に、まるはお月様へと帰っていきました。

それを知った瞬間、「あぁ、やっとこれで楽になってくれたんだ」って思いました。

そして私もとても楽になりました。

まるに「ありがとう」と声をかけて撫でてやると、自然と涙がいっぱい溢れて。

その瞬間を私の腕の中で迎えて欲しかったけど、その姿を見せなかったのは、まるの優しさだったんだと思います。

まるは「待っててね」という約束は、絶対守ってくれる子でした。

だから私がそう言わなかった瞬間を狙って逝ったんだね。

しばらくお別れをしてブラッシングをしてやり、氷を入れてタオルをかけ、風太にまるをお願いして出勤しました。

余談ですが、今の職場は本当に素敵な職場で。

うまく言えないけど、ちゃんと私の居場所があって、その場にいるとただ何も考えずに笑っていられる。

困っていると親身に話を聞いてくれる人、笑わせようとしてくれる人。

まるが亡くなった時も、「今日は昼から帰り」とか「せめて1時間でも早く帰ったら」とか心配してくれて、私がお世話になろうとしていた霊園の場所を調べてくれたり色々してくれました。

だから朝、まるを見送った直後でも仕事に行く気になれたし、笑って過ごせたんだと思います。

前の職場だったら、絶対仕事休んでたし、こんな穏やかな気持ちでいられなかった。

私が今の職場に変わったのが5月。

まるは「今ならママは大丈夫」って思ってくれたのかも。

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まるが生きていた最後の写真。

体は動かなかったけど、私が「まる」って呼ぶと耳だけは私の方に向けてくれていました。

これから先、何度まるへ向けてブログを書いても、きっと同じようなことしか書けない。

「ありがとう」「愛してるよ」そんな言葉しか出てこないです。

まる、私との一番の思い出は何ですか?

私はね、私が泣くと黙って私の膝の上に乗ってじーっとしていてくれたことだよ。

普段は絶対膝の上になんか来ないまるが、私が泣いた時だけ自分から膝の上に飛び乗ってくれたよね。

2回もそんなことがあって、なんて優しい子だろうって思ったよ。

介護が必要になってからは、よく私の膝の上で過ごしたね。

小さいけれど温かい体を膝に乗せて、ブラッシングしてる時間がママは大好きだった。

未だにまるが生きてる気がして、スーパーに行くと、キャベツの葉を貰って帰ろうとか、まるの好きなビスケット買わなきゃとか思ってしまうよ。

何度も繰り返し思う。

とにかくあなたの体に触れたい。

頭撫でてやりたい。

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